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夜の工場

先日、友人のもえみきと工場夜景を見に行った。




見に行ったといのも、ふらっと散歩というわけではなく工場夜景ツアーなるものに参加した。
普段立ち入り禁止の場所に許可を取って入らせてもらったり、女性だけで夜行くのは少し危険そうな場所にも行けたので良かった。
私たちが参加したツアーはバスツアー(目的地までバスで行ってそこからは自由に行動)で、何となく写真家が同行して色々撮影方法等教えてくれるコースを選択したのだけど、
私はカメラに対する知識とか興味があまりないので、「工場夜景見るのがメインだし写真とかスマートフォンでも充分では」くらいに思っていた。

ツアー当日、集まった参加者を見ているとおじさま層が多い感じ。
そしてほとんどの参加者がごつくて高そうな一眼レフ、三脚、望遠レンズその他もろもろ完璧な装備で来てる…。
先生(写真家)が同行する時点でわかっていたものの、これは完全に写真を撮るのがメインのコースだったのだなあと実感する。

私はというと、さすがにスマートフォン以外のカメラは持参してきたものの、参加者の完璧な装備にわななく。
ツアーが開始すると、目的地までのバス内で先生がかなり細かく写真の撮り方や撮影ポイントの情報を教えてくれる。
撮影ポイントに着いてからは自由に撮って、質問がある人は先生に聞くという感じ。

たまに怒号がとんだり(撮影に邪魔な場所に長時間立ってる人がいたっぽい)、
市の広報誌に載せるとかなんとかで、先生に質問してる体の写真や、熱心に工場夜景を撮ってる姿を市役所の方に撮られたり、
我々が群がって撮ってる今もこの工場の中では普通に人が働いてるんだよなと、ふと感じたりで、
複雑な気持ちにはなったもののまあ楽しめた。
先生もかなり親切に色々教えてくれるので、自分のカメラについていた便利機能の存在を初めて知った。

なんでわざわざ工場夜景を見に行くのか、何がいいのかと聞かれるとすぐ的確に答えられないのだけど、
工場に明かりが灯る瞬間や、複雑に入り組んだパイプライン、大きな煙突から出る蒸気、
不思議な魅力がそこには満ちているのだった。

ツアー後、夜ご飯を食べながら工場夜景のこと、夜の高速道路(JCT)もかっこいい等
いろいろな話をした。

今度機会があればきちんとした装備でまた参加してみたい。

母のお弁当

数日前、唐突に涼しい日がやってきて「秋だぞ!」という気分になり浮かれていたけど、
それは1日だけだった。去年もそんな日があったなあ。

夏は、 
「海だ!山だ!川だ!花火だ!BBQだ!うえーい!」
みたいなテンションについていけず、ついていけないどころか、
それらのことをしなければ若者じゃない、みたいな強迫観念に勝手にしんどくなり、
外に出ればびっくりするほど青白い自分の手足が目に入ってげんなりする、みたいなことをここ数年繰り返している。
(20代に入るまではうえーい!なテンションについていけていたはず…)

ここ最近はその強迫観念をかなぐり捨て、堂々と休日家の中で過ごせるようになったので気分的に少し楽にはなったのだけど。
窓外に広がる夏空を一人でぼんやりと、他人事のように見ていると唐突に母のお弁当のことを思い出した。


数年前、実家から職場へ通っていた頃のこと。
わたしは社会人2年目で毎日あくせくと働いていた。
そんなわたしに母は毎日お弁当を作ってくれていたのだけど、
夏バテ気味で食欲のないわたしは、お弁当を残してしまう日が多かった。

そんなある日、母は急にお弁当に凝りだし、キャラ弁とまではいかなくても、
異様にカラフルなお弁当を作るようになった。
ご飯がそぼろ・炒り卵・桜でんぷで色づけ、にんじんは花形、卵焼きはハート型、ウインナーはタコ、時にはご飯の上に海苔で何やら模様が描かれている(蓋の裏に貼り付いて判読不能)等、やたらとキラキラしていたのだった。
母はめんどくさがりで、見た目より味・手軽さの方を重視する人だったし、
自身もバリバリ働いていて、朝ものすごく忙しかったはずなのでわたしはギョッとした。

母がキラキラ弁当を作り出して数日後、
「お母さん、そんな無理しなくていいよ。ふつうのお弁当でもちゃんと食べるようにするし。」
と、申し訳ないと思いつつもそう言った。
母は聞いているのか聞いていないのか、
「えー?あんた靴下裏返しに脱ぐのやめなさいよ。」
みたいな全然関係ないことを指摘しだしたのでそれ以上何も言わなかった。

結局、夏の間はずっとキラキラ弁当が続いた。
母は色々な家事をめんどくさいとぼやきながらも涼しい顔でキラキラ弁当を作り、
わたしは残すに残せないお弁当を食べながら、職場の人に説教されたりなどしながら日々を過ごしたのだった。
(「まーすごいわねお母さん!あなた社会人にもなってお母さんにそんなお弁当作ってもらってたら駄目よ」的な流れ)

当時は、過保護だよなあ、とか、大人になってそんなお弁当、みたいな照れ隠し&他者の目を気にしてそういう感想が先にでてしまったけれど、
今考えると素直に有り難かったよなあと思う。

夏のせいなのか、夕方のせいなのか、こんな風に過去の何気ない出来事を思い出すことが増え、
センチメンタル婆みたいになりやすくて困る。

それにしても食べ物の思い出は何故か当時より1.3割増くらいで美化&センチメンタルっぽくなる気がするのはなんでだろうな。

大人

ずいぶんと日記を更新していない間に一つ歳をとった。

残念なことに、確実に見た目の年齢は上がっている。
だけれども、精神的にはあまり変わっていない気がする。
変わっていないから、未だに嬉々としてガチャガチャを回してしまうし、真夜中に宇宙の果てのことを考えて悶々としてしまうし、ビールもブラックコーヒーも美味しいと感じられない。
別にお子様な自分をアピールしたいわけではないのだけど、
大人ってなんだろうなと20歳を過ぎてから毎年ぼんやり考えているけど結局わからない。


今までにしたことないことをすれば少し大人になれるような気がして、
先日とりあえず一人で新幹線に乗った。

20代後半にして何言ってるんだ、と思われそうだけど、今まで一人で新幹線に乗ったことが無かった。
切符の買い方から改札の場所、席の取り方など、色々が未知であった。
(誰かと一緒に乗る時はその誰かに任せきりなのだった)
前日夜から切符を買う→新幹線に乗り込むイメトレを行う。

緊張しながらもみどりの窓口にて切符を購入。
ところが窓口のお姉さんに、
「本日は不発弾処理の為、○時前後は運休となる可能性があります」
みたいなことを言われる。
私が乗る予定の時間とぎりぎりかぶるかどうかという時間である。
その場で泣き崩れそうになるが、とりあえず新幹線に乗るべく地元の駅から鈍行に揺られ、京都まで向かう。
改札でどの切符を入れたらよいかあたふたしながらも、新幹線に乗り込む。
どうやらわたしが乗った方面は特に影響がないようだった。
無事に座れてほっとする。

車内はすいていて、ちらと周りを見ると、テーブルの上にMacBookを広げ、悠々とネットをする女性が座っている。
新幹線はコンセントもあるからそんなこともできてしまうのか…。
余裕綽々の様子に惚れ惚れとする。

一方私はというと、くつろぎ方がわからないのでシートも倒さず背筋を伸ばして座り、
降りる予定の二駅前から早々に降りる準備を万端にするという緊張ぶりで、無事に目的地へ到着した。
最初はこんな調子だったけれど、一度乗ってしまうとそれからは特に緊張することはなかった。

少しは大人になったのかどうか問題はさておき、その快適さからいつかは新幹線で目的のない優雅な阿房列車の旅に出てみたい、とまで思えたので良かった。

そんな感じでまだまだ大人とはなんぞや迷宮でぐるぐるしている私ですが、
まあなんというか大人という言葉に縛られず日々成長したいものです。

何より、お祝いの言葉やプレゼント、ケーキをごちそうしてもらう等等、みなさま本当にありがとうございました。

プレゼントは使うのがもったいないくらい可愛いものばかり。
大事にします。
http://instagram.com/p/bntlHPBx1B/
http://instagram.com/p/bvlFSEhx3B/


そして最後に全然関係ない話だけど、ブログのデザインを変更した。
今まで使っていたデザインも大変気に入っていたのだけど、少し自分で変えてみようと思い色々いじってみるもののあまりうまくいかず。
何気なくあつみちゃん(id:attsumi)に話したところ、直接会って色々アドバイスしてもらえることに。
「なんか…あまり存在感のない、というか主張はげしくない感じのにしたい」
みたいなボヤッとしたイメージで相談したにも関わらず、わざわざ時間とってくれて優しく丁寧に教えてくれたあつみちゃんに感謝感謝。

祖父のこと

先日祖父が亡くなった。89歳だった。
すこし前からもう長くないという話は聞いていたのだけど、訃報を聞いた時は頭が真っ白になった。
祖父母宅に慌てて駆けつけ、通夜・葬式等々の全てが終了して自宅に帰るまで、本当にあっという間だった。
いとこと何度も「なんだかあっけなくてあっという間だったねえ」と言い合った。

亡くなった当日、納棺までの間、祖父の眠っている布団の周りを母やいとこ達と囲んで色々な話をした。
祖父との思い出や各々の近況や他愛も無い話をし、しんみりしたり時々笑ったりしていた。
話しながら、こんなに近くに生と死の境界線があることが不思議でならなかった。

ふと祖父の枕元を見ると、折り紙で作られた小さな足の模型があった。
戦争中に片足を失った祖父が天国でも歩けるようにと、いとこが作ったのだそうだ。
「義足は大きいし、金属が入っているから棺桶には入れられないだろうし」とのこと。

途中で、死人を前にこんなに普通にわはわは笑ったりしていていいのかな、とも思ったりしたけれど、
自分が死んだ時、しんみりされるよりもこうやって笑ってくれてた方が良いかもなあと思ったので良いということにした。

祖父の死に顔はとっても穏やかだった。(よくこの「死に顔が穏やか」っていうのは誰にでも使う無難な表現方法みたいに思ってたけど実際に本当に穏やかだったのでそうとしか言い様がなくてびっくりした)
肌も陶器のように綺麗だった。

祖父が亡くなった悲しみとか喪失感とか、いずれ自分も死ぬんやな、みたいな恐怖が同時に押し寄せてくる中、通夜と葬式が行われた。

葬式が始まった瞬間、ざっといきなり雨が降り、終わる頃には止んで晴れて虹まで出ていた。
我々の気持ちや都合で天気が左右されることなんて無いってことくらいは重々承知しているのだけど、それでも何かを感じずにはいられないような天気だった。


(幸せなことに)今まであまり葬式に参列したことがなかったので、
悲しみモードを飛び越す勢いでの衝撃がいくつかあった。

まず驚いたのがぼんぼり。
厳かなセット(?)の中に置かれたぼんぼりがものすごく派手で目立っていた。
ぼんぼりってそういうものなのかもしれないけれど、紙部分の中にライトが入っていて、そのライトが赤・黄・青とカラフルな上にミラーボールのようにくるくると回っていた。なんだかそこだけ異様にポップ。

あとはお坊さんがお経を唱える以外に色々不可解な行動をしていたことにも一々驚いた。
不可解な行動っていってもきちんと意味がある行動なのだろうけれども、何も知らない私から見ると、
「なぜいきなり棒を持って舞い出したのか、というか何故そのまま棒を投げてしまったのか。」「扇子のようなもので棺桶ぺしって叩いたけど大丈夫なのか」とか、書いてて怒られそうなんだけど本当に率直な感想はそんな感じでわなわなしてしまった。

ここまでは 悲しみ&驚きの方が大きくて笑うってことはなかったのだけれど、
お坊さんが5人、各々楽器のようなものを持参して入ってきた時、隣にいた兄が「ZAZENBOYZ…」ってものすごい小さい声でぽそっと言ったのが耳に入ってきた時に笑いの方が大きくなった。
一度笑いを意識してしまうと「絶っっ対に笑えない」という状況下によって肥大化したおかしみがぱんぱんに膨らみ、頭の中を支配し始めた。

そうしたら今度はいとこが「あのお坊さん達、さっきメールアドレスの話でめっちゃ盛り上がってた」というさらにどうでも良い情報を耳打ちしてきたのでとうとう我慢しきれず笑ってしまった。
不謹慎という言葉が脳裏をよぎる。

そんなこんなで色々な感情が渦巻く中、無事にいろいろが終了した。
この3日間のことはものすごく簡単にまとめると「祖父が亡くなった、悲しかった、でもがんばろう」みたいな感じなんだけど、それだけでは片付けられない色々があったので少し怒られそうだけど書き残しておく。

桜のこと

気付けば桜の季節も目の前を通り過ぎてしまった。
今年はきちんと桜見ていないなあ。
と思ったけれど、よくよく考えれば桜はいろいろな所できちんと咲いていたし、立ち止まって少し眺める程度の鑑賞はしたはずだった。
一体どれくらいの間、桜を見ればお花見というか、桜見たわあ、という手応え的なものが掴めるんだろう。
今年一番長く桜を眺めていたのは、先日もえみきと会った時。
木屋町三条大橋付近の立派な桜を二人で見た。
とても桜は綺麗だったけれど、今ではぼんやりとしか思い出せず、桜を見ている時にふと目にした「フォアグラ屋」という看板が「なんか歌舞伎の屋号みたいだよね。」と笑いながら言った彼女の顔の方がよっぽど印象に残っているんだった。
あと、会社の前に咲いていた桜はほぼ毎日見ていた。
早咲きの種類っぽかったので咲いた時は「もう!?」と驚いたけど、散るのもその分早くてなんだか残念だった。
会社の前の桜はくっきりとピンクで艶やかだった。
それをじっと見ていると、何故だか突然、坊主めくりがしたくなった。
桜の木が何故そんな気持ちにさせたのか、そのからくりはわからないけれど、その時は無性にそんなことを思った。
坊主めくりといえば、親戚と坊主めくりをする時、蝉丸が出たら「蝉丸の踊り」と名付けた謎の踊りをしなければいけないというルールがあった。
あれは一体誰が作ったルールなんだろうなあ。
そんなどうでも良い思い出に着地したけれど、とりあえず来年はもっとじっくりと桜を鑑賞したいと思う。
(今年も頑張ればまだチャンスはたくさんあるのだろうけど。)

なつかしや

連休中、取り立てて何もしなかった。
何もしてないけれど三連休中に日記を書こうと思っていたのでそれだけはせめて実行することにする。

だけど、はじめに書いた通り特に何もしなかった。
それに尽きてしまうので困る。

ただ、ブログ編集画面を開けたら「今週のお題」というものが目に入った。
このまま「某月某日、特筆することなし」のみの無益な内容で終わるところだったけれど、
せっかくなので与えられたお題にそって日記を書くことにする。

今週のお題「最近あった良いこと」
最近あった良いこと。一体なんだろう。30秒くらい考える。
特にない。いや、でも何かはあるはず。そう思ってもう1分くらい考える。
やっぱり思い当たることがない。いや、でも何かあるはず。
そう意地になって考えていくと、なんだか最終的に「ああこうして今息をすって吐いていることがまさに良いことであります。これ以上何も望みますまい。」という気持ちになってしまった。
ただそれはきっとこのお題からはそれてしまっているので、感謝の気持ちを胸に抱きつつ再度考えてみる。
もっと単純に、ささいな、最近あった良いことって何だろう。

ああ、そう。そういえば職場のお菓子コーナーに新しく置いてあったお菓子がとてもなつかしくて美味しかった。
それこそ最近あった良いことに認定したいと思う。
http://instagram.com/p/VYuhnvBx4M/


わなげできます。(実際やっている人がいたけど難しそうだった)

今日はお題にそって日記を書けたけれど、振り返って何もなかったような日でも何かしらはきっとあるので、気張らずに少しずつでも日記を書いていきたいなあ。
起きた寝た、食べた見た聞いたとか、他の人から見て全く有益でないものであっても記録することが大事な気がするので。(こういうことを半年に1度くらい書いてるんだけど…)

美容院のいろいろ

私は美容院が苦手だ。

美容院が苦手というより、よく知らない人とどうでもいい話をするということが苦手なだけなのかもしれない。
数年前までは、小学生の時からずっと一緒の美容院に通っていた。
担当してもらう人もだいたい一緒。(転勤などで数回代わったりはしたけれど)
なので美容院はわたしにとって特に緊張せず気楽にふらっと行けてリラックスできる場所だった。
それが数年前、いつも担当してもらっていた人が寿退社されたので、違う人に担当してもらうことになった。
新しく担当してもらった人が駄目だったとか、不満だったとかそういうわけではないけれど、
なんとなく面倒になって行かなくなった。
しかし髪は伸びてくるし、染めた髪の根元は黒くなってくるので美容院には行かなければいけない。

でも行きたくない。

そんなに行きたくないならそれらをぜんぶ自分ですればいいのではないか。とも一瞬思ったけれど、
そこまでの器用さと気力は生憎持ち合わせていない。
ならば昔から行ってるんだからいつものところへ行けばいい。といつもは思うのだけど、
ある日、「そこに行くのをやめよう。別の適当なところを転々とすればいいんだ。で、気に入ったらそこに通えばいい。」と決めた途端、なんとなく気が楽になった。
その日からわたしは晴れて美容院ジプシーデビューした。


インターネットで家の近所や職場の近くの美容院を検索し、なんとなく目に留まったところに電話して予約をした。
それにしても美容院ってたくさんあるんだなあ。というのがまずもっての感想。
これから放浪する身としては大変心強い。
何せ一度違う美容院に行くと、また元の美容院にもう一度行くということがしづらいからだ。
別に気にすることでもないかもしれないけれど、気にしいの私としては一度他の美容院に行ったくせに、また元の美容院に行くというのは裏切ったような気がして行けない。

そんなこんなで初めて行く美容院は、やはりよく知らない人と会話するのがしんどい、という反面、
色々面白い発見もあった。
まず、初めて行くと名前やら住所やら電話番号をカルテのようなものに書かなくてはならない。
「書けるとこまででいいです。」
といわれ、「はて?」と思ったけれど、よく見たら名前や電話番号の他に、職業や誕生日やメールアドレス等、そこまで教える義理はない。といった情報を書き込む欄があった。
というかそもそもこのカルテに書き込む情報なんて免許証や保険証と照らし合わせるわけでもないので、いわば何書こうとフリーダムなのだ。
私は名前が少しだけ珍しいことからか、漢字の読み違いでよくサチコやハナコに間違われてきた。
昔から通っていた美容院ですらメルマガはハナコ様と書かれていた。
それならばここにだって別にハナコであろうがサチコであろうが書いたっていいじゃないか。
職業だって銀行員だろうがマジシャンであろうが木こりであろうがなんだっていいじゃないか。
ここでは私は何者にでもなりうるのだ。
漫画家の久米田先生だって、美容院では久保田という偽名を使っているという話なども思い出したりしながら、これは…と思ったけれど、結局は素直にすべて書き込んだ。
そして髪の毛を切ってもらうわけなのだけれど、ここでもそれとなく「この人はどういう人間なのか」ということを少しずつ聞かれる。
「どこから来たのか」「職場が近いのか」「きょうはお休みなのか」「いつも平日が休みなのか」「実家住まいなのか」「結婚しているのか」などなど。
別に黙って雑誌読んでればそこまで聞かれることもないのかもしれないけれど、沈黙が気まずいので聞かれたことには答えてしまう。
答えてしまうとそこから派生してどんどんまた質問されてしまう。
気つかいの人見知りとは大変損な性格だとつくづく思う。
(美容院の中でくらい私は人見知りです!と言って相手のことは考えず、だんまりできる潔さが欲しい)

脱線したけれど、あと美容院の良いところを挙げるとすれば、普段読まないような雑誌が色々読めるところだ。
美容院ではじめに持ってこられる雑誌は、だいたい年齢とか服装とか雰囲気でチョイスされると思うのだけれども、たまに前の人が読んでいたまま置かれていたりする。
それが普段読まない感じの雑誌だと大変面白い。
「人生を変えるヘアに出会う!永久保存版!○○美女はここで差をつけてる!」みたいなテンション高めのキャッチコピー読むのも楽しいし、皇族のあれこれやらあの事件の驚愕の裏側!みたいな週刊誌もじっくりと読むのも良い。

帰る頃には雑多な情報でお腹いっぱいになっている。

結局、今の所2カ所しか開拓していないのだけれど、どちらも良い所も悪い所もあってもう1度行くかどうかはわからない。
行かないとしたら、また数ヶ月後には新たな美容院を探さなければいけないと思うと面倒なのだけれど、それはそれでまた新たな発見があるかもしれないので良しとしよう。

帰り道は、開放感からほっとして空気公団の「やさしい朝」を鼻ずさみながら帰った。

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